中国の豆腐

きょうは、なんてことのない一日なのですが、春になったので自転車に乗るのが気持ちいいだろう、と思ってすぐ近くにある中華街まで行ってきました。中華街なのでお店は当然ながらぜんぶ中国人が経営していて、中には日本食屋もあるけれどそれも当然ながら中国人経営で中の人には中国語で話しかけられます。置いてあるものも、醤油とかあるけれどそれは中国の醤油で、米もあるけれど中国の米で、笹団子とか吊るしてあるけれどそれは中国の笹団子で、豆腐もあるけれどそれは中国の豆腐なのでした。
どこが違うのか、と訊かれたら困るのですが、例えば豆腐にかんして言えばたぶん目の前に豆腐を出されてそれが中国のか日本のか訊かれたらすぐにわかるくらいの違いはある、くらいの違いです。パッケージに書いてある言葉で一発でわかると言えばそれまでですが、たぶんお皿に出しても八つ切りにしやすそうなサイズ感とか、いやしかし日本にも八つ切りサイズではない豆腐もあったな、とか言えばそれまでですが、食べれば確実に日本のものではない味がします。もっとも、豆腐というのは原材料的には豆乳とにがりから出来ていて、基本が同じであればあとは誤差と思ってもいいくらいのもののはずで、豆腐全体を100%としたら1%くらいの差異のはずなのですが、日本の豆腐にとってはそこがアイデンティティの拠り所となるわけです。
と言いつつ、それをキッチンに持って帰って同じ階のブラジル人とかに食べてもらうと「うまいうまい」ということになって、ようするに外人にとってはどうでもいい違いなわけですが、そう文句を言っている自分にとっても無いよりまし、というよりむしろその1%の差異を懐かしむためのよすがとして楽しんでいるところがあって、「でしょう、うまいでしょう」と言って美味しくいただくわけでした。

Le Cuirassé Potemkine/Le Pré de Béjine

帰宅してどうもやはり消化不良なのでDVDで「戦艦ポチョムキン」をみながら寝ようと思って、しかしけっきょく全部みてしまったばかりか付録の"Le Pré de Béjine" もみてしまってけっきょく夜更かしになりました。"Le Pré de Béjine"は、作品自体が焼失しているので、残っていたフィルムの断片や撮影時の写真などで無理矢理再構成してあって不思議な仕上がりです。音楽がプロコフィエフの「アレクサンダー・ネフスキー」で、そういえばエイゼンシュタインは同名の映画もつくっていたから縁がなきにしもあらずだけれど、もともと音声がない映画なので苦肉の策なのだろうな、と想像していました。そもそも焼失した映画の再構成、というのがプランとしてとても詩的ですが、仕上がりは往々にしてこういう、筋もよくわからないもになるようです。映画なのに静止画の紙芝居みたいになっているのでクリス・マルケルみたいなもどかしさがあります。

Comme s'il en pleuvait


という芝居をみてきました。「雨あられのように」くらいの意味です。帰宅したら見覚えのない現金が居間に置いてあり、平穏だったはずの中年夫婦の暮らしが徐々に狂いはじめ…という話で、芝居のさいごには現金が雨あられのように降ってきます。夫は麻酔医で病院の労組に入っているのですが、現金を大量に手にして「つい」全額を高級ブランド店で使い果たしてしまい、妻に「ディオールのスーツなんか着て労使交渉に行くつもりなの?」と叱られる場面がいちばんもりあがりました。夫が応戦して「左派だからって缶詰ばかり食えというのか?俺だって…」とキャビアを頬張った瞬間にチャイムが鳴って…。
居間に大量の現金が置いてあった理由が全然わからなので最初は一種の不条理劇なのかと思いましたが、さいごはちょっと、これどう終わらせよう…と脚本家がこまって無理矢理ドラマチックにしてしまった感が強くて変な終わり方をしました。
主演のピエール・アルディティという人はアラン・レネの映画にも何度か出ている有名な俳優らしく、客席は満員御礼でした。劇場はオペラ座にほど近い「エドワール7世劇場」で、袋小路みたいなところを抜けたところにとつぜん立派な建物があって中もこてこてに装飾してあるという、いかにもパリらしい場所でした。吹雪だったので写真もふぶいてます。

と言いつつそういえばそのブラジル館の同じ階に、アベロエス研究をしているという人がいて、きょうはじめてまともに話したのだけれど、中世にアラブ世界経由でギリシャ哲学がキリスト教に流れ込んでくるとかいう話をしていました。
日本人にとってはそんなのまるで接点がない話で、接点がないばかりかおなじような状況というのさえ想像しにくいのはなぜだろう、とか考えていました。ヨーロッパにとっての中世というのはイスラムとかモンゴルとかの外敵に侵略されて、貧しいながら自分のアイデンティティを確立しないといけないという危機感があったのだろうけれど、日本にとって中世というのは鎖国のはじまりで、あまりそういう切実感がない。蒙古襲来と飢饉で末法思想が広まったみたいな教科書的な一連の流れ、と相似形を見出せるかもしれないけれど、外界を自分の領域からシャットアウトするという前提があったので、なんというか「殺されるかもしれない」みたいな切実さの度合いがちがう。と、そういったあたりが日本の特別なところ、変なところ、というかまあ地理的条件だったのだなあ、とまともすぎる結論が出たところでやっぱり寝ます。

その後きょうは銀行口座をつくりに行って(滞在許可証をもっていなくても口座が開けたらしいことがわかって拍子ぬけ)、その後映画「ホーリーモーターズ」で死体役をやっていたおじさんと会って(仏教おたくでほんとうにへんな人だった)、翻訳の仕事を頼んでくれたギャラリーへ小切手を受け取りに行って(小切手というものを初めてもらった)、プロ用の現像所というところを案内してもらって(来週からそこで見習いをすることになった)、ブラジル館に帰宅してブラジル人の送別会をして(ポルトガル風プリンというのがほんとうに美味しかった)、帰宅。こう書くと、いろんなことをしているようでどれもぜんぜん脈略がなくてでも一日なんてそんなものかな、とおもいつつ寝ます。

サイアノタイプ


きょう起きたら天気がよかったので、サイアノタイプという方法で写真をつくりました。こうやって、サイアノタイプ用の紙(そのへんで売っている)にすきなものをのせて、太陽光のあたるところで10分ほど放置して、紙が白っぽくなってきたら水で洗い流して乾かして完成です。初めてつくりましたが、写真の古典技法の中でもいちばん簡単らしいです。太陽光がないとできない技法なので、パリもそれだけ晴れてきたということです。