崇高さに引っ張られるサウンド・インスタレーション

hanakoblog2009-04-28

銀座のメゾン・エルメスで開催中の「ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー展」へ行ってきました。
40のパートからなる楽曲を、楕円形に並べられた40台のスピーカーで再生している、というサウンドインスタレーションでした。その、再生されている楽曲、というのがトマス・タリス「我、汝の他に望みなし」(1573)という宗教曲で、40声の聖歌隊が歌っているのを、40本のマイクで録音して、40台のスピーカーで再生しているため、各スピーカーがそれぞれ、そうか、このスピーカーは女声ソプラノの人のか、とか、このスピーカーは少年の声だ、とかわかって、40本の同じ規格の機械が異なる声を代理しているようで、つまり、40台のスピーカーに囲まれているはずが、40人に囲まれているみたいな気配が生起して、まぁそれがこの作品の肝なんだろうと思いました。
しかしこの作品の肝となる部分がきちんと成立しているのは、この宗教曲自体の堅牢な構成によるところが大きい、というかすごく大きい、、という気はします。私は個人的に、こういった宗教曲に感動してしまったり、うっかりすると泣いちゃったりするので、しかしここで感動するとしたらそれはタリスの曲に、であってこのインスタレーションは関係ないかもしれないから何かちょっとずるい、感じです。感動する、というのは要は「崇高さに打たれる」みたいなことだと思うのですが、この時代の宗教曲、というのは「いかにして崇高さで人の心を打つか」といったノウハウが最高度までに洗練された結果としてでてきたものに違いなくて、それがものすごい多重構造をしていたり、「彫刻的に」構成されていたりするのはそのニーズに適合した結果としてでてきたものにすぎないわけなので、それを分解して再結合したような形で提示されても、すごく表層的に映ってしまいます。観る側がこのサウンドインスタレーションに聴き入るとしても、それは多分に素材の崇高さに引っ張られて勝手にそうなっているためで、作品のアイデア自体はそんなに心打つようなものでもないんじゃないかと思いました。
もう一点の映像のほうの作品「ナイト・カヌーイング」は写真にあるとおり、暗いところに水があって草があって、という川下りの映像なのですが、脱力系というか、敢えて盛り上がらない感じで、、ただ、いいスピーカー使ってるな、、、とは思いました。
そういえばジャネット・カーディフさんという方は、いま森美術館で開催中の「万華鏡の視覚」のほうにも、机を触るとどこからともなく人の声とかがきこえる、という作品が展示されていました。ネットで他の記事をみていたら、なんでも、この展覧会を構成するコレクションはそもそもジャネット・カーディフさんのこの作品を購入するために設立されたものだそうで。。。コンセプト的にも技術的にも既視感のあるものでしたが、出会い方次第でうっかり心打たれるものなのかもしれません。