なぜエスカレーターは面白いか?あるいは原っぱとしての東京

エスカレーター鑑賞の第一人者であり、私の大学の同期でもある、エスカレーターの田村さんの「エスカレーターツアー」が記事になっていたので、うれしいあまりリンクを貼ります。田村さんのサイトを見てからは、エスカレーターに乗るたびに田村さんを思い出してしまいます。すごい浸透力。

デイリーポータルZ「みんなでエスカレーターを見に行った」
http://portal.nifty.com/2009/12/04/a/
田村さんのサイト「東京エスカレーター」
http://d.hatena.ne.jp/tamura38/20091205/p1

デイリーの記事が『工場萌え』『団地の見究』『ジャンクション』の大山総裁の手になることを見れば明かなように、エスカレーターを見て「うきょー」となる視点(田村さんがよく使う擬音?語)、というのは、工場に萌えたり、団地を見究したり、ジャンクションを愛でたりする視点と重なるわけですが、なんでこれが面白いんだろう?と考えたときに、建築家の青木淳さんのレクチャー「原っぱと遊園地」を思い出しました。それはざっくり言えば「原っぱ」というのが面白さを自分で見つけないといけない場所である一方、「遊園地」というのが面白さがあらかじめ用意されている場所、のことで、その2つの対照的な場所を行き来しつつ青木さんの建築に関するスタンスが聞けるお話でした(この内容は書籍にもなっているようです)。
で、これがエスカレーターとどう関係するのか、と言えばむろん、都市においてエスカレーターというのはあくまで移動手段であってそんなにまじまじと鑑賞したりする対象ではないのですが、そこに「エスカレーターは面白い」という視点が介入することで都市が途端に原っぱになる、のではないかと思うのです。むろん、エスカレーターでなくても、ジャンクションだったり配管だったり壁だったりマンホールだったりしてもいいのですが、テーマパークに行かなくても、自分の中にテーマがあればどこでもテーマパークになりうる、という発想、だろうと思います。東京に限って言えば、、エスカレーターを愛でる視点は東京を原っぱにする、みたいな。
「愛でる」という表現も、なんというか「虫愛づる姫」とかいいますが、まさに原っぱから虫をみつけてきて可愛がっている、かんじでぴったりくるなあ、と思うのです。そのうち『エスカレーターを愛でる』みたいな本が出ちゃったりしないでしょうか田村さんから。

と、なんだかベタ褒めしていますが、その一方でこういった視点の持ち方のようなものは『工場萌え』以降、徐々にパッケージングされつつあるな、とも思っています。廃墟萌え、であるとか、軍艦島へ行こう、みたいなものもそのヴァリエーションのひとつであるような。

ええと、そして村上はといえば、11日にはじまる、フランス大使館での展示にそなえてせっせと制作に勤しんでいます。
そういえば、田村さんは「大使館めぐり」も趣味にしていたと記憶してます。エスカレーターはないけれど、たまには大使館もいい、ですよ。


原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か

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工場萌え

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団地の見究

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ジャンクション

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