設営スキル

明日からフランス大使館の展示です。


しかしまだこんなかんじです。
間に合うんでしょうか。

素材は揃っていて、
タイトルが
「純粋和歌の再発見―大使館解体に際して地下書庫で再発見された、フランス 大使夫人によると思われる「世の全ての和歌」を書き出す試み(1959年ごろ)」
というもので、つまり、フランス大使館の解体に際して「発見」された貴重な資料を展示します。
書いてあるのは、毛筆で書かれた美しい筆跡の和歌なのですが、よく見ると、和歌どころか全然意味がない、という。
この筆跡の主は、その1959年ごろの大使夫人だったベラール・幸子夫人なのですが、もともと書や和歌を嗜んでいた彼女が、大使のもとに嫁いでから、フランス人のシステマチックなものの考え方に影響され、31文字で構成される和歌というのは、全部で50音あるひらがなの組み合わせにすぎないのではないか、ということに気づきました。つまり、和歌の全てのパターンというのは50の31乗あって、その中にはこれまでに詠まれた膨大な数の和歌があり、また今後詠まれるはずの膨大な数の和歌も全て含まれるはずだ、ということに気づいたわけです。


その、「発見された」ランダムな和歌の短冊
書道家の田中葉奈さんが書いてくださいました)



ランダムに和歌を生成して、印刷してくれるソフトウエア
(ソフトウェアのエンジニアをやっているマークさんが作ってくださいました)


フランス人女性がそれを説明してくれるビデオ。
(出演は、哲学科の学生でアーティストのアメリーさんです)



という感じなのですが、それがぜんぜん設営できていません。私だけ遅すぎて明らかに顰蹙モノです。展示の設営の時は、どれだけ余裕をもって計画していても最後はかならずこうなってしまうので、これは何かの欠落だろうと前から思ってはいて、それは計画性だったり、几帳面さだったり、と思っていたのですが、今日思ったのはそれはきっと「設営スキル」だ、ということでした。この「設営スキル」のなさ、というのに私はここ数年悩まされ続けていたのですが、じつはこれは特殊技能なのではないか、ということに今日気づきました。つまり、「作品の設営ができる」というのは「英語がしゃべれる」とか「トラックの運転ができる」「パーティーフードが作れる」「ロープで担架が作れる」「プリンターを修理できる」みたいなことと等価なくらい、知識と経験と才能が必要なことなのではないか、ということです。照明をどうしよう、とか、私が1時間悩むようなことを、設営スキルのある人は5分で済ませます。あと、私が東急ハンズまで3往復しても揃わないこまごました道具を、スキルフルな方はポケットからスッと出してきます。
今回は、芸大チームのために、設営専門の方が来て下さっていて、困ったことがあるたびに相談したりできたのですが、明らかにその方々にお世話になりすぎ、ました。展示台を修理したり、窓をはめ殺しにしたり、照明をつけたり、プロジェクターを吊ったり、とか。どれも、私一人ではできません。
むろん、作家が面白い作品を作るスキルというのと、設営スキルというのは無関係です。でも一方で、展覧会が来場者の目に触れる段になると、設営の良し悪しも作品の一部になってしまう、ので、他人からすればそれも作家のスキルの一部でしょう。作品が良くても、設営がうまくないと、あるいは終っていないと、見てももらえないと思われるので。あぁ、背筋が寒い。
明朝、猛スピードで残りの設営をして、開館時間に間に合う予定、です。間に合っていなかったらバカにしてください。
ご来場、お待ちしています。