メタ映画三態

「メタ映画」としてさえさんおすすめの『サンセット大通り』をみてみました。たしかに、語り手は死んだ人だという点で、生者の世界からは一段メタなところに視点がある、だけでなく、ハリウッドでの映画づくり自体のことも扱っており、映画で映画のことを語っているという自己言及的な点でもさらにメタになっていて、メタ好きにはたまらない映画でした。

そんでもって、ついでに借りてきたジョン・マルコヴィッチの『レディース・ルーム』というのが、たまたま借りてきたにしては意外におもしろいメタ映画で、しかも登場人物が交通事故で死にかけていて、煉獄で自分の人生の一部始終をビデオで見せられている、というスジでした。死ぬとメタになる、というかどちらかというと、死んだあとに振り返る人生はその人にとってある意味もう無関係なので、生きている時よりも距離がとれて、ちょっとデタッチメントの入った見方になる、くらいのことなんじゃないか、とも思いました。
まぁともあれ、最初の場面では広い部屋で女性が列をなして並んでいて、トイレに並んでいるのかとおもいきやそこは煉獄で、、テレビが置いてあってそこで皆それぞれの人生を映して口々にコメントしたりしています。そこで映されるのは、脚本家の妻である女優が、夫の愛人と化粧室で隣り合わせになったり、マルコヴィッチの妻と愛人が劇場のトイレで意気投合してしまい、実は同じ人を相手にしていた、ということがわかった瞬間に妻が産気づいてしまったりとかなりやりたい放題なのですが、女子同士がトイレで恋バナをする、みたいな点では一貫していて、というかそれが見せ場でした。

トイレが出てくる映画といえばルイス・ブニュエルの『ブルジョワジーの密かな愉しみ』ですが、YouTubeでそのシーンがないか探していたところ、同じ映画の別の場所でこんな場面を発見。これは忘れてました。

『主人公は僕だった』が文学的枠組みを利用したものだとすれば、このシーンは演劇的、というか演劇のセットがでてくるのでそのままですが、、、。文学とか演劇とか、時代的に先行する分野の枠組みをどんどん利用できるところが映画のずるいところではあります。
文学、演劇、と来るとあとはマンガ的、とかがありそうですが、もはや守備範囲外でよくわからないです。マンガのコマ割りみたいにしてスクリーンを割っているテレビドラマとかを、実家でみたことある気がするようなしないような。