P.P.D.とメタ映画

スウェーデンのアーティストで、ワンダーサイトに滞在していたベラ・ルネが明日ストックホルムに帰るというのでお茶をしてきました。
どうしよう、このところ忙しさが一段落してしまい、ちょっと愕然としているのだけど、、と話したら、ハナコ、それはP.P.D.というものよ、と教えてくれました。P.P.D.、つまりポスト・プロジェクト・デプレッション、というのはいろんなプロジェクトが一段落したときに訪れるウツのことのようでした。横文字にされるとなんだか大ゲサなようでうっとうしい、うえに、べつにウツではないので違うよ、と思ったのですが、これはワールドワイドに知られた病だから心配することはない、1日目、2日目くらいはキツいけど、映画とかみたりしているうちに次のプロジェクトに向けてアタマを切り替えることができるから、、というのでほんとうに映画をみたりして、いるうちに、連休がおわろうとしています。

このところ気になっているのは、「メタ映画」というものが世の中には存在するのではないか、ということで、なんだかそれらしいものをピックアップして観たり、しています。もし心あたりの作品があれば教えてください。あ、ゴダールスパイク・ジョーンズ以外で。


『主人公は僕だった』Stranger Than Fiction

ユージュアル・サスペクツ』The Usual Suspects

トゥルーマン・ショー』The Trueman Show

『ルック』Look


「メタ映画」、というのは多分、物語世界を俯瞰する視点が映画内にもう一個用意されている、映画のことだろうか、と思っているのですが、『主人公〜』の場合その視点は文学でいうところの「神の視点」で、『トゥルーマン〜』の場合それは人工的に作られた小宇宙の中に無数に取り付けられたカメラの視点、そして『ルック』の場合それは監視カメラの視点になっていて、そうか、日常生活のなかでの「メタ」の位置には監視カメラがあるのかも、、と思ったり。『ユージュアル〜』は、登場人物が架空であることが当たり前である「映画」という器のなかで、さらに架空の人物を設定する、という手の込んだことをやっていて、「メタ」であることとは少しズレているけれど、きっと役者の中では、一人の架空の人物を演じている人物を演じている、というような状況が起きているはずで、これはたとえば、キティちゃんがトラのかぶり物をしている、ものの中に人がいる、みたいで面白いなと思いました。誰かこのテの映画の研究をしている人とかいないんでしょうか。