この本は誰が読んでいるのか

六本木のABCに寄ったら、カラヴァッジオジャ・ジャンクーの渋い顔に挟まれた『デジタル・フィルムメイキング』がありました。平積みされているのと、映画コーナーでこの表紙は異色なのとでパッと目につきます。

探すつもりはなくても、買われているのだろうか、読まれているのだろうか、とつい。難しいことは書かれてないので、一気に読めばたぶん2時間くらいでいけるのですが、「よんだよ」とはまだ誰からも。まぁ、人様に読めという前にたぶん自分で読んだほうがいいのですが。今さら誤植とか見つかったらイヤですが、猫々先生を見習って誤植とかあったらこのブログで公開してもいいんではないか、と思っています。誤植とか発見した人は教えてください。そんなんではなくて感想とかも。
この本、大半はケータイを使って電車の中で訳したのですが、そう言ったら先生方は「あきれた」と一言。。。電車の中がいちばん集中できるのです。あと昨年夏〜秋は妻有に行ったり、アビング氏の通訳があったりして移動が多かったのでどうしても。それで、ケータイで一気に訳して、メールで自分に送信してワードに貼付けながらもう一度チェック、してました。ゲラでもう一度チェックして、二校でチェックして、むろん桂先生と編集の方のチェックもはいりました。訳者として初めてだったので、どのくらいが当たり前のペースで、普通はどのくらい念入りにするのか分からないのですが、最後はかなり急ピッチだったので若干不安が残っているわけです。ケータイで訳したから不安なわけではありません。画像編集や映像の編集とちがって、文字情報は情報量が軽いのでケータイで翻訳、というのはかなりアリなのではないかと思っています。ケータイ小説、なんていうのもあるくらいですから、今回のようなエッセイならかえってリズム感を損ねず、良いのではないかと。機会があればまたやりたいです。

とかなんとか思いつつ、ジョン・バージャー『見るということ』を購入して帰宅。一気に読まないとすぐ積ん読になるので一気に、と思いつつまだ全然です。まぁ、書籍というメディアのリズムはきっとこのくらいのリズムなのでしょう。出てすぐ反応がある、というものでもない調子の。