タイポグラファー、マシュー・カーター氏の講演をきいてきました

マシュー・カーター氏の講演がポンピドゥーセンターであるというので行ってきました。彼は"Verdana"と"Georgia"というフォントのデザインをしたことで有名な人で、それがどう重要かというとコンピューターディスプレイで表示されたときに読みやすいようにデザインされた最初期の文字だったから、だそうです。

1996年にマイクロソフト社からの依頼で、最初にサンセリフ(ブロック体)の"Verdana"がデザインされ、その後セリフバージョン(文字の端にヒゲのようなものがついているバージョン)として"Georgia"がデザインされたようです。デザイン門外漢にはこのくらいしか説明できませんが、ようするにWordなど文章を書くときに「フォント」というメニューから文字の種類が選べますが、

そこでズラっとでてくる文字種の一つ一つの背後にはそれをデザインした人がいて、その中で最初にコンピューター用に特化したデザインをした人、というのがこのマシュー・カーター氏だそうです。



ここまでが予習。
会場は、ポンピドゥーセンター地下の小サロンで、行ったときには既に満員でしたが(タイポグラファーがこんなに人気を集めるなんて!)、なんとか最後の席に入れてもらってきいてきました。内容は彼がデザインしたマンティニアMantiniaとウォーカーWalkerというフォントについて話。



・Mantinia
Andrea Mantegnaというルネサンス期の画家の作品にインスパイアされた文字。マンテーニャて誰だっけ…となりますが、極端な遠近法を用いたことで有名なこの絵の人です。


よく美術の教科書の遠近法の項によく載っている人。彼の作品(おもに版画のほう)にはよく文字が登場するらしいのですが、その書体を基本にしているそうです。

これが、

こうなる。




↑その文字をデザインしたのが(たぶん)フェリーニ・フェリチアーノFellini Fellicianoというおなじくルネサンス期の変人でヴァチカン図書館に彼のタイポ本が遺されているらしいです。


↑これは、ちょっと見にくいですがアメリカのマサチューセッツ州にあるボストン公共図書館の外壁の例。所蔵されている本の著者名を刻んであるのですが、名前が長い人は文字がほとんど入れ子状になっていて作った人の工夫が感じられます。文字を2つ3つくっつけたり入れ子にしたりするのをligatureといいますが、そのさまがフェリチアーノの書体に似ている。ボストン公共図書館の設計をしたのはチャールズ・マッキムCharles Follen McKimという人で、彼がヴァチカン図書館のフェリチアーノの手稿を手にしていたとは考えにくい。一方、当時は文字のデザインも建築家に求められるスキルの一つだったようで"Lettering for Architects"という本があって、彼はおそらくその本を参考にしているのですが、これのネタ本としてフェリチアーノのファクシミリ版(ようするに複製版)が使われたのではないか、と。このフォントはコミッションではなくて勝手につくったものだけれど、ウケは良くてたとえばローリング・ストーンズみたいな雑誌↓にも採用されたらしい。

"Fiona Apple"とか"Puff Daddy"みたいな名前がルネサンス期の巨匠と同じフォントでてきて面白い。




・Walker
アメリカのミネソタ州ミネアポリスウォーカー・アート・センターのコミッションでつくられたフォント。予算は小規模ながら、フォントの制作過程自体をコレクションに収蔵するという約束なのが面白くて引き受けたらしい。「月曜に閉まっていますが、多様な解釈には開かれています」"Open to interpretations,closed on Mondays"というのがモットーの美術館ですが、もともと使っていたフォントがカタくて、企業ロゴみたいだからなんとかしよう、ということで彼が提案したのがこういうもの

しくみとしては、スナップ・オン・セリフsnap on serif といって、ぴょんと飛び出たセリフ部分を取り外しできて、繋げようと思えば文字同士をくっつけられるもの。
まだインターネットのなかった当時は毎月イベントカレンダーをポスターサイズで印刷して配布していて(そういえばブリュッセルシネマテークは今もそういうポスターをだしている)、それがこんなかんじ

それが日本のタイポ会社「モリサワ」に面白がられて一度日本でも展覧会をやったそうで、これが当時の田中一光デザインのポスター。

新島実、平野甲賀、佐藤豊、杉本浩と読めます。
そしてウォーカー体の日本語バージョンというのも制作されたそうで。これでマシュー・カーターのデザインしたフォントで「マシュー・カーター」と書けます。

このフォント欲しいけれど誰がデザインしたのだろう…。
ともあれこうやって書体が派生してくるあたりほんとうに"Open to interpretations"ですよね、という話でした。ちなみにアルファベットをつなげてしまう、というアイデアはインドのデーヴァナーガリーDevanagari文字からインスパイアされたそうで、長年温めていたのをここでつかってみたと。


・おまけ
さいきんはウッドタイプにはまっているそうで、ウィスコンシン州ハミルトンにあるHamilton Wood Type & Printing Museum というところでワークショップをやっているらしいです。デジタル←写植←活版←手稿←石彫と文字の歴史をひととおりみてきて、そういえばウッドタイプはまだやっていなかったな、と思って取り組んでみたら面白かったと。そしてこのごろはアルファベットに飽きてきて、古代フェニキア文字のフォントを作って遊んだりしている、らしいです。

質疑応答コーナーでは、デジタル時代のタイポグラファーの役割とは?みたいな質問が出て、「文字の形なぞ8割は一緒で残り2割で試行錯誤をするわけだが基本は変わらない」つまり、基本的には職人芸で、じっさい自分のライフプランはクロード・ギャラモン(16世紀のタイポグラファー)とほぼ一緒だ、みたいなことでした。
あと、IKEAVerdanaを使っているのをどう思いますか?という質問もでましたが、これはどの講演会でもきかれる定番クエスチョンらしく、しかもこのテーマについてはネット上で記事がごまんとあるけれど半分はデタラメでどうとも思わない、と。


全体として、とてもエレガントなイギリス英語で魅力的な語り口でした。予習をした時点では、活版からデジタルフォントへの移行にかんしての話かな?と想像していましたが、これにかんしてはもうだいたい話し尽くしたので今日はちがうことを…みたいなことでした。
タイポグラフィーというのは基本的に温故知新、かつ借物競争的なのだな、というのが個人的な感想で、なんというか限られた枠組みの中で新しいことをするというのはなにも突飛なことをするわけではなくルネサンス期の豊かな遺産からアイデアを拝借したり、あるいは欧米圏外のものからインスパイアされたり、面白いと思った要素をいろんなところから借りてきてそれを磨き上げていくと一見「新しい」ものができあがるのだなと。