Tremplin-Cursus 2-Ensemble Intercontemporain - Centre Pompidou

作曲者:Anthony Cheung,Einar Torfi Einarsson,Magnus Lindberg,Rune Clerup

アンサンブルアンテルコンタンポラン、という現代音楽の世界では超有名らしい楽団のコンサートに行ってきました。その道の人は「アンテルコン」と略すらしいです。今日は若手作曲家4人の作品を紹介するという会でした。
http://www.ensembleinter.com/fr/concert-580-Tremplin-Cursus-2.html
↑音がでます。
現代音楽というと、ピューとかピョーとかか細い音が鳴って、たまに爆音が鳴って起きる、というイメージですが、だいたいそんな感じです。私はそういうのが嫌いではないので、誘われれば行くくらいのかんじですが今回はとりわけ面白かったです。
何が面白いかというと、生で観るとどの楽器の人が何をやっているかがわかって面白い。CDとかできくと正体不明の音になるに違いないものも、目の前でやっていればああ、ハープの弦に髪の毛を入れて擦っているのだな、とか、フルートに歯をあててカチカチやっているのだな、とかわかって、そのバカバカしさとマジメさについ見入ってしまいます。レイキャヴィク生まれの人の作曲家の作品が特にそんな感じで、トロンボーンを吹いている人が自分の頬を叩きはじめたり、ヴァイオリンの人は弓で指板の上のほうを弾いていたり、ピアノの人は弦を指ではじいたり…ととにかくまともに音を出している楽器はひとつもなくて全部音になるようでならない、かすれたキーキー声がオーケストラのところどころから散発的に出ていて、なんというか絵画でいうとサイ・トゥオンブリー的な、白いキャンバスに線未満の線がところどころにあるかんじ。
これだけ変な音ばかり出ていると、これはそもそも楽器でやるイミがあるのか?という疑問がわいてきます。べつに単なるヒモとかホースとか10円玉でも同じ音が出ればそれでいいではないかと。なぜわざわざ伝統的な楽器を使って、ほぼ伝統的な編成の楽団を使って演奏するのかと。
まあこれは、この変な曲(ほめてます)をききながら考えたわけですが、ひらたく言って、音楽を解体しつつ音楽であることを担保するために道具立てとして必要だったのだろうと。つまりフルートに歯をカチカチあてて出る音と同じ音が、10円玉からも出たとして、10円玉でフルートを代替できるかというとそうはいかない。なぜなら、舞台上のフルートから出ると期待される音があって、でも今日そのフルートは音を出す手前の段階でもじもじとカチカチと音を立てている。この、音を奏でる手前で逡巡している感、というのがミソなのではないか。つまりこの類いの現代音楽というのは音だけを届けているのではなくて、コンテクストを見せているのではないか?しかし舞台をみていないとそのコンテクストは受け取れない。つまり現代音楽こそ、スペクタクルであり生で観に行くべきなんじゃないかとか久々に頭のなかでまともな結論が出ました。