と言いつつそういえばそのブラジル館の同じ階に、アベロエス研究をしているという人がいて、きょうはじめてまともに話したのだけれど、中世にアラブ世界経由でギリシャ哲学がキリスト教に流れ込んでくるとかいう話をしていました。
日本人にとってはそんなのまるで接点がない話で、接点がないばかりかおなじような状況というのさえ想像しにくいのはなぜだろう、とか考えていました。ヨーロッパにとっての中世というのはイスラムとかモンゴルとかの外敵に侵略されて、貧しいながら自分のアイデンティティを確立しないといけないという危機感があったのだろうけれど、日本にとって中世というのは鎖国のはじまりで、あまりそういう切実感がない。蒙古襲来と飢饉で末法思想が広まったみたいな教科書的な一連の流れ、と相似形を見出せるかもしれないけれど、外界を自分の領域からシャットアウトするという前提があったので、なんというか「殺されるかもしれない」みたいな切実さの度合いがちがう。と、そういったあたりが日本の特別なところ、変なところ、というかまあ地理的条件だったのだなあ、とまともすぎる結論が出たところでやっぱり寝ます。