これはゆるキャラではないのか

渋谷駅の岡本太郎さんの壁画「明日の神話」ですが、原爆の悲劇というかなり重いテーマなのに、画面の端っこにあるのは、これはゆるキャラなんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。
明日の神話」のホームページを見ると、「ハチ公から太郎へ」とかあって、いや、雨の日も風の日も主人を待ち続ける可愛い柴犬の銅像と、ヒロシマの悲劇を描いた巨大壁画だったら断然前者のほうで私は待ち合わせたいですが、「太郎」のほうも、よくよく見ると全面的に悲劇なわけではなくて、はしっこのほうではわりと脱力しているんじゃないかと思い。

悲劇に見下ろされつつ通勤。

口から煙がでてますが、それでもわるい感じがしません。

こちらは口から赤いものが出てますが、邪悪というよりひらがなの「わるもの」。
逃げている方の黄色い生物も比較的テキトウ。

あと目が吊り上がっているのもいますが、吹き飛ばされつつあって、、、ゆるい。

作者がどう思ったかは知りませんが、21世紀的にみるとこれらはゆるキャラではないでしょうか。
日本にとってこれ以上ないほどシリアスなテーマを扱っていても、端っこのほうにこういうユルいのがいて(少なくとも私にとっては)全体の雰囲気を骨抜きにしてしまう、というのはあらゆる意味で日本的なんじゃないかと思います。
原爆・絵画・ゆるキャラ、とくると村上隆椹木野衣さんたちの考えることと地続きになっているに違いないので、彼らが既にどこかで論じているかもしれませんが。