巨匠は2度死ぬ

hanakoblog2010-03-06

チェルフィッチュで知り合ったカミーユに誘われるがままに日仏学院のイベントへ。着いてみると『ジャン=リュック・ゴダールとの会話の断片』という、最近のゴダールを撮ったドキュメンタリーの上映と、その後トークショーがありました。1930年生まれのゴダールは、当然ながらすでにおじいさんになっていて、若者との会話も噛み合わず、対談をしても相手の言うことを全くきいていないし、新聞記者の問いかけも途中でさえぎったりして、「会話」というよりも「会話」のふりをした「独白」の断片のようでした。ル・フレノワ、という、アートスクールでのレクチャーの際は、学生の作品にコメントを残したりしているのですが、これも全く的外れで、、、。とか言うと誇張にきこえるかもしれませんが、トークショーの中でアラン・フレシェールさんが「結局彼は学生の作品を理解できなかったし、自分でもわかっているだろうと思う」と発言したのをきいて、そう思ったのは私だけではないのだな、、と。
このドキュメンタリーの冒頭で、ゴダールがDVDを再生しようとしてうまくいかず、「彼は何をやっているんだ」と苛立って詳しい人に電話で相談するのですが、その「彼」というのがDVDプレーヤーのことを指していたりして、こうやって機器を擬人化して呼ぶあたりのアナログ感がゴダールらしい、と思いつつきいていると、問題は単にDVDのNTSC/PAL の規格違いだったらしいことがわかり、その瞬間にそこに映っている人物が、巨匠ゴダール、から普通の70過ぎのおじいさんに見えてしまって、すごく痛々ししい光景でした。同じ巨匠でも、映画監督が長生きをする、というのはたとえば、まどみちおさんが100歳まで生きる、ということとは全くワケが違っていて、文豪の場合は時代が下ることで、原稿用紙がワープロやパソコンになったり、日本語自体が徐々に変化を遂げたり、といったうつろいはあるものの、映像の分野での技術の進歩に比べればまだユルいものに思われます。つまり変化の速度の観点から言って、人間の老化のスピードよりも早く変化する分野の場合、巨匠が若いころに制作した画期的な作品に使われた技術というのはすぐに古びてしまい、しかも歳を重ねれば重ねるほど新しい技術というのは習得しにくくなってしまうので、巨匠がいつも最先端の技術を使うかというと決してそういうことにはならず、逆に自分の若い頃に使っていた技術にいろんな理由をつけて執着したりして徐々に初期の輝きを失っていくのだと思われます。ゴダールの場合、彼が1999年にもなって白黒フィルムとHDカムを使って『愛の世紀』とかを撮っていた時点で、ゴダールファン以外の全ての映画関係者が(なんたる時代錯誤)と思ったに違いないですが。ゴダール的なものが好きな人は、彼のネームドロッピングに惑わされたり、するかもしれませんが、ほんとうにゴダールが好きな人は、このドキュメンタリーはこっそり見て、こっそり忘れてしまうのが彼のためにもいいのではないかと思いました。