Jean-Louis Boissier "Les Vigilambules du Daikakuji" のこと

フランスのメディアアーティスト、ボワシエさんが明日横浜の芸大新港校舎でレクチャーをするというので、その通訳をすることになりました。それで、先週京都で拝見したボワシエさんの展示について備忘録的に書いておこうと思います。
会場が大覚寺、主催が嵯峨芸術大学なのですが、嵯峨芸術大学という大学自体が設立の過程で大覚寺と深い縁があるそうで内外の作家を招聘して展示してもらうという活動を行っているそうです。

「out of place」(6月27日〜7月18日)(嵯峨芸術大学のページ)

ボワシエさんの作品は"Les Vigilambules du Daikakuji"、直訳すれば「大覚寺の覚醒者」といった意味です。
お堂の中に入ると、iPadをひとつ渡されます。そこには「般若心経」をボワシエさんが仏語に訳した文章が出てくるので、鑑賞者はそれを音読しながら歩きまわります。

歩き回っているあいだ、受付にあるもう一つのiPadに読んでいる人の顔が映し出されます。

お経は14ページに分かれていて、歩き回りながら1ページ読み終わると「チーン」という音が鳴って次のページに行けるのですが、歩きながら横文字を読むのはけっこうしんどくて、畳の縁をうっかり踏みそうになります。「畳の縁を踏まない」とか「畳の敷き合わせは右足で超える」といったしきたりはフランス人にとってはおそらくどうでもいいことですが、お茶やお花を少しでもかじった人ならきっとそうであるように、やはり蔑ろにすると気持ち悪いので音読しながらそわそわと足元を気にしていました。
ところで、この作品の記録を撮るのにボワシエさんが「モデルが欲しい」とおっしゃっていて、「演者」とか「俳優」という言葉は使わないのだな、と思ってなんだかブレッソンの発想のようでした。きくと、ボワシエさんは以前から好んで「モデル」という言葉を使っていて、これまでの作品に登場する人物もみんなそう呼んでいたようです。さらに、タイトルにある"vigilambule"という語は、ブレッソン『スリ』についてドゥルーズが述べたテクストに由来するそうで、"somnambule"(夢遊病者)と対に使われる言葉で「目覚めながら歩き回る者」の意だそうです。で、その「目覚めた者」というのはすなわち「悟りを開いた者」のことで、それで「般若心経」ひいてはこの経典と縁の深い大覚寺へとゆるやかに繋がっている、のでした。
一分の隙もない理論武装で、明日の通訳が思いやられますが頑張ります…。
予習ということで、ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』と、ブレッソン『スリ』をば。

シネマ2*時間イメージ (叢書・ウニベルシタス)

シネマ2*時間イメージ (叢書・ウニベルシタス)